第51回日本SF大会 Varicon2012(ヴァリコン)

~第51回日本SF大会 Varicon2012~
       -The 51st Japan SF Convention-
開催日:2012年7月7日(土)~8日(日)
会 場:合宿の宿 ひまわり (北海道夕張市)
※本大会は「完全合宿制」です。


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 02 北海道SF大全 第一回 知里幸恵『アイヌ神謡集』(岩波書店)


            梟の神の自ら歌った謡
           「銀の滴降る降るまわりに」

         「銀の滴降る降るまわりに、金の滴
       降る降るまわりに。」という歌を私は歌いながら
          流に沿って下り、人間の村の上を
            通りながら下を眺めると
      昔の貧乏人が今お金持になっていて、昔のお金持が
          今の貧乏人になっている様です。

 これからはじまる「北海道SF大全」。その劈頭を飾るにふさわしい作品と言え
ば、先ずは『ユーカラ』を措いて他にないでしょう。

 かつて北海道の大地にはアイヌと呼ばれる民族がいて、本州に住まう和人たち
とはまったく異なる独自の文化のもとに生活を紡いでいました。しかし、彼らは
近代化の流れに取り込まれ、その伝統は、和人の主導する同化政策によって破壊
されてしまいます。それでも、アイヌのひとびとが口承で語り継いできた伝統文
学、『ユーカラ』のおかげで、現代においてなおわたしたちは、たとえ断片的であ
るにせよ、彼らの記憶にアクセスすることができる……。

 と、まあこのように、みなさんは『ユーカラ』と聞くと、滅亡した文化につい
ての証言というイメージを想起するのではないでしょうか。もっとも、こんな風
に決めつけてしまうと、「失礼なことを言うな」とお叱りのお言葉がどこからか飛
んできそうです。じっさい、おっしゃるとおりで、アイヌという民族はけして滅
びてしまったわけではありません。そして、アイヌの文化を保存して再興しよう
とする運動も現在盛んに行われています。

 とはいえ、日本の近代化に連動して、アイヌの伝統が大きな変質を蒙った時代
があったこともまた事実です。今回ご紹介する『アイヌ神謡集』は、まさしくそ
んな時代――アイヌの存在が丸ごと消失して忘れ去られてしまうのではないかと
危惧されていた時代――に、未来の世代に向けてアイヌの記憶を伝えるため書き
言葉に翻訳されたユーカラの記録です。

 この『神謡集』には全部で十三篇のユーカラが採録されていますが、冒頭に引
用したのは、それらのうちの第一篇、「銀の滴降る降るまわりに」と題されたフク
ロウの神様の物語です。それはこんな物語です。

 ――フクロウの神様が人間の村の上を飛んで人間たちを眺めていると、子供た
ちがおもちゃの弓矢で遊んでいる光景に出くわした。彼らはみな、過去に貧乏だ
ったのが現在お金持ちになった家の子供たちで、金の弓に金の矢をつがえて、フ
クロウを射落とそうと矢を飛ばす。けれどもその中でみごとにフクロウを射当て
たのは、過去に大金持ちだったのが今は零落して貧乏になってしまった家の子の
粗末な木の矢だった。お金持ちの子供たちは、ふだん貧乏だからと言って馬鹿に
していじめている子がフクロウを射落としたのが面白くなく、これを横取りしよ
うとするけれども、貧乏人の子は自分の獲物を必死で守り抜き我が家にもって帰
る。この貧乏な子の家族は、フクロウの神を拝して東の窓に敷物を敷いてこれを
祭る。フクロウの神はこの家族を嘉して、彼らが寝しずまった真夜中、「銀の滴降
る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」と歌いながら家の中を飛び回って、
小さな家の中を神々の宝物でいっぱいに満たす。フクロウの神は、運の巡り合わ
せが悪くて没落してしまったこの家族をあわれんで、富を恵むためこの家を訪れ
たのだった。ふたたび裕福になったこの家族は、往来が途絶えていた村の人々を
饗宴に招き、交友を旧に復することを申し出る。以後、この家族はフクロウの神
を礼拝して、お供えに御幣と御神酒を絶やすこと無く、フクロウは人間の国をい
つまでも見守っている――

 知里幸恵がこの『アイヌ神謡集』を編んだ時代、すでにアイヌの文化は絶滅の
危機に瀕していました。明治政府は、ロシアの南下に対抗するために、前時代か
ら続いてきた北海道の開拓をさらに強力に押し進め、アイヌ人から土地を接収し
たり、彼らの風習を禁止したり、日本語の使用を義務づけたりしたのです。それ
は、言うなれば、北海道という土地に生きる人々の記憶が上書きされてしまうと
いうとても悲しい出来事でした。アイヌの人々は、日本語で思考して、日本の様
式で生きることを強いられたがために、アイヌの言葉で思考して、アイヌの方法
で生きるという経験を永久に失ってしまったのです。

 同じことは今のわたしたちにも言えます。現代に生きる日本人であるわたした
ちは、日本語で『ユーカラ』を読み、現代日本の文化を基準にしてアイヌの世界
を想像することしかできません。でもそういうイメージ自体が、かつて生きてい
たアイヌの人々の実像を上書きして覆い隠してしまいます。『ユーカラ』を読んで
アイヌの人々の世界観をわかった気になるのは、アイヌのことをまるで知らない
でいるより、或る意味でなお深い無知に陥ることだ、と言えるかもしれません。

 にもかかわらず、知里幸恵は、『ユーカラ』を、失われつつあったアイヌの記憶
の証言として、日本語に翻訳して後世に残すという事業に文字通り身命をなげう
ったのでした。どうして彼女にそんな離れ業ができたのでしょう。

 『神謡集』に収録されている十三篇のユーカラは、どれもフクロウや、キツネ
や、沼貝といった小さな動物の神様が自分で自分たちのことを歌う物語です。彼
らは神様とはいえ、けして万能ではなく、失敗もすれば後悔もするし、人間にい
たずらを仕掛けて逆に懲らしめられもします。じつは、わたしたちが『ユーカラ』
と呼ぶアイヌの叙事詩にはいくつかの種類があって、知里幸恵の編んだ『神謡集』
の物語はすべて、神が自分の事蹟を物語るユーカラ、「カムイユカラ」と呼ばれる
歌謡に分類されます。アイヌは世界の万象を「カムイ」と呼称される霊威と見な
していました。だから、「カムイユカラ」に歌われる神にも、勇壮な神もいれば強
大な神もいます。にもかかわらず、知里幸恵がささやかな神、小さな神を歌った
カムイユカラをとくに選んだとすれば、その選択の背後には彼女の意志がはたら
いているのです。

 知里幸恵は、『神謡集』の序文で、本書の執筆動機についてこう語っています。
曰く、愛する自分たちの先祖が使っていた美しい言葉が、亡びゆく弱きものとと
もに消え失せてしまうのはあまりにもいたましく名残惜しい、と。つまり、彼女
が後世に残したかった「ユーカラ」は、言わば「亡びゆく弱きもの」へと捧げら
れた歌であって、その本質は「美しい言葉」にあるのです。そこで、「カムイユカ
ラ」のもつもうひとつの側面に思いをはせる必要が出てきます。すなわち、「ユー
カラ」とは口伝えで語り継がれてきた「歌」であり「韻文」であるという側面です。

 『神謡集』は、見開きで右側の頁にユーカラの日本語訳文が、左側の頁にアイ
ヌ語原文のラテン文字表記が掲載されるというレイアウトになっています。それ
はつまり、たとえ文字による記述であるにもせよ、知里幸恵がアイヌの歌の音韻
そのものをわたしたちに伝えたかったということです。いま、冒頭に引用したフ
クロウのユーカラの原文を、知里幸恵の表記にしたがってアルファベットであら
わすとこうなります。

       “Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe
       ranran pishkan.” arian rekpo chiki kane
      petesoro sapash aine, ainukotan enkashike
       chikush kor shichorpokun inkarash ko
      teeta wenkur tane nishpa ne, teeta nishpa
         tane wenkur ne kotom shiran.

口ずさんでみれば、必ずしも完全に理解することはできなくとも、このユーカラ
が美しい韻律によって形成されていることは予感されると思います。最初の
“Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe ranran pishkan”というフレーズに
注目してみましょう。これは、フクロウの神が「銀の滴降る降るまわりに、金の
滴降る降るまわりに」と歌うときに繰り返されるフレーズです。カムイユカラで
は、自分のことを歌い上げる語り手であると同時にその物語で語られる主人公で
もある神は、歌の中で必ず、自分自身を、あるいは物語の内容を象徴する擬音・
擬声語を発声します。「銀の滴降る降るまわりに」の場合、“Shirokanipe ranran
pishkan…”というフレーズは、まさにフクロウが小さな家の中を飛び回るのに合
わせて、神の宝があたり一面にきらきらと降ってくる情景をみごとに描き出して
います。そのことを念頭に置きながらもう一度“Shirokanipe ranran pishkan,
konkanipe ranran pishkan”と口ずさんでみると、このフレーズがまさにそれ以
外のどんなあり方もありえないような言葉――「美しい言葉」であることが実感
できるのではないでしょうか。

 「ユーカラ」――「ユカル」という表記が原音に忠実だそうですが――は、も
ともと「真似る」という意味をもっていました。つまり、カムイユカラを歌う謡
い手は、「神を真似する人」だということになります。けれども、この「カムイユ
カラ」という言葉には、さらに別の隠れた含意が存在します。それは、カムイユ
カラの内容が、神が、自分自身の身に起きた出来事を一人称の話法で語る物語だ
という点です。つまり、カムイユカラとは、神が、自分自身を真似する行為でも
あるのです。じっさい、カムイユカラの多くは、「しかじかの神がヤイェユカルし
た」という言葉を結末に置いています。「ヤイェユカル」とは、「自己について/
自己において真似をする」ということ。なぜなら、物語の語り手が、自分自身に
ついて語るとき、すでにこの語り手は、語られている過去の自分とは別の存在に
なっているのでなければ、物語という営みは成立しえないのであって、神でさえ
この運命から免れることはできないからです。

 わたしたちが時とともに生成消滅する存在だということと、わたしたちが物語
する存在だということは、同じ事態の表と裏です。「自分自身について自分で語る」
行為は、つまりは「自分自身を真似る」行為に他ならないのであって、そのさい、
真似る自分と真似られる自分とは、必ず時間的差異という壁に隔てられて、互い
に他者となっています。過去の自分が死んで消滅したとき、はじめて現在の自分
は過去の自分について物語る権利を得る、と言い換えても良いかもしれません。
事実、カムイユカラでは、物語する神が物語の最後に死を迎えるという定型が頻
繁に見られます。でも、物語の中で語り手自身が死んでしまうのなら、その物語
を語っているのはいったい何ものなのでしょうか?

 しかし、物語の語り手と語られる主人公とが死によって分かたれる別々の存在
であればこそ、カムイユカラは、たんなる神の独り語りであることを止めて、人
間たちへと伝達されることができるようになります。ユーカラの謡い手は、神の
模倣者として神の事蹟について語ると同時に、その物語を聞く人々もまた、或る
種の模倣者となって、神とユーカラの謡い手と、同じ世界を共有します。そして、
この物語を媒介としての世界の共有の核にあるのが、“Shirokanipe ranran
pishkan, konkanipe ranran pishkan”のような、もはや言語の意味を離れた音声
の生み出す韻律に他なりません。

 「自分で自分を真似する」という営みの奥底にあるのは、過去の自分と現在の
自分のあいだに生じている一種のリズムの関係です。そして、物語行為は、本質
的にリズムに基づいて規定される活動であるがゆえに、独話であることにとどま
らず、さらなる他者へと、共同体へと拡散していくことが可能となります。ちょ
うど、ペアを組んで踊っているふたりの人物の周囲に、彼らと同じリズムに合わ
せて踊る参加者が次々とあらわれて、大きなダンスの輪が広がるようなものです。
まただからこそ、カムイユカラは絶対に、韻律に基づいて朗誦される歌でなけれ
ばならないのです。

 ここから、知里幸恵が『神謡集』に、とくに弱く小さな神々の物語を採録した
理由もうかがい知れます。彼女は、失われつつあった神々の物語だけではなく、
今まさに失われつつあった自分たち自身のすがたを『アイヌ神謡集』に託したと
いうことです。神々に、自分たちの物語とともに「亡びゆく弱きもの」であるア
イヌの記憶をも伝達してもらうために、フクロウの神を、キツネの神を、沼貝の
神を――アイヌに似ていて、似ているがゆえにアイヌがヤイェユカルするための
言葉たりうるさまざまな小さい神を――知里幸恵は、自らの編んだユーカラの記
録の中に召喚したのでした。語られる神々に語る人間のことを語らせるというこ
のアクロバティックな妙技こそは、しかしながら、わたしたちがなぜ現実に満足
せず「現実以外のもの」を求めるのかの理由であるとも言えます。そして、物語
においてはこのように過去と現在の主従関係が必ずしも不動のものではないがゆ
えに、わたしたちは、あのフクロウの神の贈りもののように、とっくの昔に失わ
れたと思われていた何かがひょっこりと顔をのぞかせてあいさつするというとて
つもなく幸運な体験を期待して、今日も今日とて物語を読みまた書くのです。

                 (横道仁志)


         『アイヌ神謡集』 知里幸恵訳 岩波書店


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