第51回日本SF大会 Varicon2012(ヴァリコン)

~第51回日本SF大会 Varicon2012~
       -The 51st Japan SF Convention-
開催日:2012年7月7日(土)~8日(日)
会 場:合宿の宿 ひまわり (北海道夕張市)
※本大会は「完全合宿制」です。


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 11 北海道SF大全 第四回 荒巻義雄「白き日旅立てば不死」― おそらく世界最初の本格的精神分析学テーマ





●はじめに――間テクスト性

 荒巻義雄の最初の長編『白き日旅立てば不死』(1972年)(1)は、中編
「ある晴れた日にウィーンはたたずむ」(1971年)を土台にして、約一月
あまりの短期間で執筆された。この作品の特徴は謎に満ちていることであ
る。

 まず、『白き日旅立てば不死』という題名、そしてこの中で登場するマル
キ・ド・サドの世界は、何を意味しているのだろうか。

 『白き日旅立てば不死』は三つのテクストから構築されている。第一の
テクストは実際に起こった悲劇、すなわちこの作品のモデルとなった十八歳
の女子高生が雪の阿寒湖の畔で謎の自殺を遂げたという事件である。彼女は
荒巻の札幌南高校時代の同級生で、高校生で道展に入選した天才少女画家
であり、学校ではスター的存在であった。このことについては、文庫版の巻
末にある波津博明の見事な解説がある。第二のテクストは、発狂して精神病
院に入院した白樹が生きた妄想の世界である。第三のテクストはマルキ・
ド・サドの暴力と性的倒錯の世界である。これら三つのテクストのもつれ合
いは、「間テクスト性」である。

 「間テクスト性」の理論を提唱したのは、フランスの精神分析学者のジュ
リア・クリステヴァであった。彼女の『テクストとしての小説』(2)が翻
訳されたのは1985年だったが、実にその十数年も前に、荒巻は「間テクスト
性」に基づく作品を発表していたのである。荒巻の斬新さにただ驚かざるを
得ない。ここでは、「間テクスト性」について詳しく述べる余裕はないが、
要するに小説の著者は、自分の本来の精神から自分のテクストを創造するば
かりではなく、過去の複数のテクストから編纂するということである。たと
えば、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』がそうである。

 小説とは複数のテクストの並べ替えであり、他のテクストから引き出した
いくつかの発話が互いに交差し合い中立化しあう。単純化すると、「間テク
スト性」とは本歌取りのようなものである。また、荒巻がシミュレーション
小説論で展開するブリコラージュ理論もその系列であろう(3)。


●時空を超える青春小説

 確かに、波津博明の解説のように、『白き日旅立てば不死』は見事な青春
の恋愛小説である。しかし、この作品は、陳腐な感情的なセンチメンタルな
青春小説と違って、愛するあまりに狂気となってしまった激しい恋を、きわ
めて冷静に知的に間テクスト性の技法を駆使して描き出している。このよう
な恋の悲劇を表現するには従来のメインストリームの伝統的な方法ではとう
てい不可能であった。すなわち、なぜ白樹がこのような狂気に追い込まれた
のか、白樹の迷い込んだその精神世界で何が起こったのか、この混乱した心
の時空を表現するにはSFの手法しかなく、さらにそのS(科学)の部分
は、精神分析に基づいている。したがって、この作品はSFの形をとった恋
愛小説といえよう。SFであろうと、リアリズム小説であろうと、手法は違
っても、恋の狂気の世界を描くことができたらそれで十分ではないだろう
か。

 白樹が語る錯乱した断片的な過去に耳を傾けていると、次第に白樹の心の
世界が明らかになってくる。彼は、自分自身なぜかわからないが、いつの間
にか彼の現実とマルキ・ド・サドの世界を行き来しているのであった。

 しかし、彼は自由に往来できるというわけではなく、サドの世界は、ルー
レットの黒のように偶然に出現してはまた消えた。さらに、ルーレットが回
転しているとき、黒と赤の判別がつかなくなるように、主人公の現実とサド
の世界とは混合した。この錯乱した世界から垂直に立ち上がるのは、主人公
の熱狂的な青春の恋である。それではサドの世界とは一体何を意味するのだ
ろうか?


●ギャンブラーの生活と異次元の世界との接触

 『白き日旅立てば不死』は、主人公の白樹が発狂して精神病院に入院して
いるところから始まる。白樹は記憶障害があり、入院当時のことすら覚えて
いなかった。ともかく、気がついたら入院していたのであった。そこで彼は
狂気の中にありながら、懸命に、部分的に残された記憶の断片をつなぎ合わ
せて、ジグゾーパズルのように欠落を埋めながら、過去を再現しようと試み
るのだった。

 白樹は自分でも理由のわからぬまま、ギャンブラーになってヨーロッパを
放浪していた。彼はギャンブルに夢中になり、不思議なことに大儲けをし
て、そのとりこになった。しかし、ギャンブルは彼の存在を崩壊させた。い
やギャンブルの瞬間的な興奮こそが、崩壊した彼の存在を支えたといえよ
う。

 彼は儲けたお金で女を買い、刹那的な奔放な生活を送った。ギャンブルと
快楽への耽溺は、過去から彼を断絶し、途方もない孤独へと追い込んでいっ
た。

 白樹はベニスのカジノで大儲けをした後、フィアット124スポーツ・クー
ペを買ってウィーンを訪ねた。その理由は、ベートーヴェンやモーツァルト
などの楽聖を生んだ街の古びたカフェでウィンナーコーヒーを飲みたかった
からである。五月のウィーンの空は故郷の北海道の空を思い起こさせた。
しかし、白樹は気づかなかったが、ルーレットで儲けたこと自体がすでに、
幻の都ウィーンに開いている異次元の世界へ入っていく、その序曲のような
ものだったのである。小雨降るヘレンカッセ通りの近くで、ルーレットの
黒が出たように偶然に、白樹はソフィーと出会った。

 …その白いレインコートが暗闇の中でわずかに動いた気配に驚いて立
ち止まった。丁度、車道を走りすぎた自動車のヘッドライトが人影をとら
え、光暈(こううん)の 中に顔をまぶしそうにした女が浮かんだ。
 令嬢のような気品をそなえた若い女だっ たので、白樹はハッとさせられ
た。女が、夏の離宮でみかけた絵の中のマリー・アントワネットの面影に、
あまりにも似通っていたのだ。
 その顔は、立ちとまった白樹に向かって泣きだしそうにゆがんでいた。
 何かをいいかけようとして口をつぐんだ。(1.文庫版59頁)


 白樹はソフィーと一夜を過ごした。そこで彼女は、「愛してはいけないの
だわ」と謎の言葉をつぶやいた。そして「わたしが悪いのだわ。あなたと逢
っちゃいけなかったのよ」といってすすり泣いた。しかし彼女は詳しいこと
は語りたがらなかった。白樹は、彼女がある闇の組織に属していることを察
して、一緒にウィーンからパリへ逃げようと計画した。逃走に必要な資金を
用意するために、彼はカジノで稼ごうとした。ところがカジノでは、稼ぐど
ころか、別離のしるしである、赤、19、すなわちソフィーの年齢が出て、
大負けしてしまった。

 ルーレットの玉の赤色は、彼女が裏切ろうとしたことを罰されて、鞭打た
れて、ひきさかれた白い背中からにじみ出る苦悶の色であった。ここで白樹
の記憶は途絶えた。しかしソフィーへの激しい思いは変わらなかった。ソフ
ィーは白樹の千々に乱れた心をまとめる支えであった。

 ソフィーとは一体何者だろうか、彼は精神病院のベッドで懸命に記憶を追
い続けた。


●加能純子

 記憶をたどっていくと、ニースで出会った若い女性が浮かび上がってき
た。

 彼女は日本では美術学校生徒であったが、授業がいやになって、ヨーロッ
パに漠然と旅に出たのだった。彼女は加能純子という名前であった。その名
前を聞いたとたんに、「戦慄が白樹の体を吹き抜けて行った」。白樹には、
加能純子の思い出がよみがえってきた。

 加能純子は、白樹の高校時代の同級生で、頭がよくて美人であり、名のあ
る公募展にも入選するほどの絵を描き、しかも詩や小説も書いていた。彼女
はヒロイン的存在だったので、多くのうわさが乱れ飛んでいた。特に白樹が
ショックを受けたのは、セーラー服に包まれた彼女の白い肌には、ベルト様
のもので鞭打たれた数条の赤い条痕があるということであった。ある早春の
日、彼女は、妻子ある東京の画家との恋愛事件を清算するために、雪の山中
で服毒自殺を遂げた。その頃、白樹はたまたまマルキ・ド・サドの『ジュス
ティーヌ抄』を読んで、サドの世界に魅惑されていた。

 そんな白樹は、加能純子もまた、東京の画家によって全裸にされて縛り付
けられ、激しい責め苦を受けていたと空想した。加能純子は、美しい心をも
つジュスティーヌ(4)と同様にサディスムの犠牲者となり、その苦しさに
耐えかねて自殺したに違いなかった。

 そこまで、白樹の記憶が戻った時、彼は、ウィーンで出会ったソフィー
が、サドの主人公「ジュスティーヌ」のもう一つの名前であったことに思い
当たった。加能純子の赤い条痕はソフィーとのものと重なり合った。

 ここで彼には、高校時代の加能純子とソフィーとは同一人物であるという
着想がひらめいた。

 白樹の記憶は錯綜していた。ニースの加能純子は彼の高校時代の加能純子
とは同姓同名ではあるが、違う人物のようであった。しかしそれは曖昧なま
まで最後まではっきりしない。ニースの加能純子は白樹に、ソフィーがウィ
ーンの暗黒界を支配するXという人物の支配する組織に、私的に所有されて
いる女性であるという情報を与えた。その組織は莫大な資金力と権力がある
ので、ソフィーを始めその組織の女性は、ウィーンから一歩も外には出られ
ない仕組みになっていた。それを聞くとすぐに、白樹はレンタカーで再びウ
ィーンに向かって出発した。


 ところが白樹のレンタカーはその途中で横転して、彼は気を失ってしまっ
た。

 そして気がついたときは、サドの小説のロルサンジュ夫人ジュリエット、
すなわちソフィーの姉が立っていた。白樹はついに念願のサドの世界に入っ
たのであった。こうして、ロルサンジュ夫人/ジュリエットに命を救われた
白樹は、彼女がリラの花の思い出を語った時に、はっと思い当たった。

 白樹も思い出した。あの加能純子のことを。彼らの校庭にもリラの花
が咲いていた。咲き乱れる白い花のかたわらに、セーラー服姿の彼女が立っ
ていた。いつの日の記憶だろうか。あの頃、彼は加能純子を愛していたのだ
ろうか。自分自身すら気づかぬうちに。《このいま、おれのいる世界はおれ
の心の中の世界なのだろうか》(1、文庫版100頁)


 白樹は、ソフィーが加能純子その人であることを確信した。彼はソフィ
ー/加能純子を愛するあまりに、狂気の世界の虜になってしまったのであ
る。そこで彼は、ソフィー/加能純子をサドの世界から救い出そうと奔走す
ることになった。ところが、彼はソフィー/加能純子を身受けする代金の払
い込みの日付を一日間違えてしまって、結局救出に失敗してしまった。残さ
れたソフィー/加能純子の運命はどうなったのだろうか。

 思い出をたどり続けているうちに、白樹は、ルーレットの文字盤の赤と黒
のように、世界は二重構造をなしており、二つの世界が交互に存在している
ことに気がついた。黒がソフィーの存在している世界、赤は加能純子の世界
であった。このとき白樹は、完全に赤と黒の世界を混同していたのであっ
た。


●ルーレットの導くマルキ・ド・サドの世界

 白樹がギャンブラーとして、ヨーロッパを彷徨したのは、生きる希望を失
い、「一切がむなしい」と感じたからであった。そのような彼がギャンブル
に打ち込んだのは、ルーレットが回り続けて止まったとき、現実を確認でき
るからであった。ギャンブルに打ち込むにつれて、彼はルーレットの交錯す
る黒と赤に幻惑されて次第に異次元の世界へと導かれていったのである。こ
のルーレットにはマルキ・ド・サドの不吉な声が低く流れていた。

 サドの世界はルーレットの黒のように、気まぐれに白樹を翻弄して、現れ
たり消えたり、あるいは誘いのメッセージを寄こしたりする。

 文庫版の『白き日旅立てば不死』の最後には、この作品と荒巻義雄に捧げ
られた、歌人木内敦司の歌が掲載されている。この歌は、荒巻自身が、「む
しろ執筆当時の心象をよく伝えている」と絶賛したものであるのでその一部
を引用しよう。

 回転を続けるルーレッ
 ト盤にころがったボー
 ルのように
 
 殺戮の後の星座と仰ぎつつ黒き葡萄を潰す 純愛
 ・・・
 もしルーレットがその
 回転をやめても盤上の
 赤と黒を廻り続ける.(1.206-207頁、国学院短歌 80号)


 「回転をやめても盤上の赤と黒を回りつづける」とはパラドックスであ
る。

 このことは、ルーレットが回転している時は、白樹の赤と、マルキ・ド・
サドの黒とが混合しているが、回転がやむと赤と黒がはっきりするという意
味である。

 この作品は、実際にモデルの女性が自殺してから、二十年以上もたって執
筆されているので、いわば感情のルーレットがほとんど回転をやめたところ
で執筆されていた。ジョルジュ・バタイユが「恋愛は、思い出というかたち
をとった時に、はじめて、その真理が知的に把握しうるものとなる」(5)
といったように、白樹の世界とサドの世界は、ルーレットの回転する興奮が
静まると正体がはっきり現れて来たのであった。

 白樹の愛読していたサドの小説は、渋澤龍彦によれば、世界一の大「悪
書」であり、たとえ追放されようと、発禁にされようと、焚書にされよう
と、この世界一の悪書は滅びない、という恐ろしい本である(5)。渋澤の
いう「悪書」という意味は、「良書」の陰画という意味であり、バタイユの
いう、「サドのいうことを文字通りに真にうけることほど無駄なことはな
い」ということである。すなわち、サドの希求することはすべて徒労に終わ
るということである。このことについてこれから述べよう。


●ジュスティーヌ/ソフィーと加能純子

 加能純子とソフィーはサドの小説のジュスティーヌと重なり合っていた。
したがって、加能純子を理解するには、ジュスティーヌの人物像をはっきり
させなければならない。サドの小説では、ジュスティーヌは姉のロルサンジ
ュ夫人ジュリエットとともに主人公である。ジュリエットは、ひたすら悪徳
と淫蕩を追い求め栄華栄耀を極めた。ジュスティーヌは、身も心も美徳に捧
げ最後まで美徳を捨てなかったので、結局、不幸と悲惨のどん底に落とされ
た。最後には、ジュスティーヌは美徳のゆえに、悪党の仲間からひどく愚弄
されたあげく、嵐の中に追い出され雷に打たれて死んでしまった。しかも死
んだばかりの死体を、悪党どもがさんざんもてあそんだのであった。

 ここに示されているように、サドは悪を目指し、美徳に激しい攻撃を加え
た。彼の攻撃は、美徳のある女性の存在を破壊するために、あらゆる可能性
を結集する、まさに言語を絶する極限的なものであった。攻撃を加えること
によって、サドの性的興奮は狂気の嵐の頂点に達した。サドは、その嵐の中
に美徳を巻き込み自分の支配下に置こうとしたのであった。もちろん美徳に
攻撃を加えるのは完璧な極悪人である。バタイユはサドの描いた極悪人を次
のように表現している。

 「生まれつき腹黒く、強情で、横柄で、野蛮で、自己本位で、自分の
快楽のためには金に糸目をつけないが、有益なことにはいっかな財布の紐を
緩めようとはせず、嘘つきで、食いしんぼうで、大酒飲みで、臆病で、男色
家で、近親相姦者で、人殺しで、放火犯人で、泥棒で」(4 一八二頁)。


 しかしそれにもかかわらず、結局、極悪人はジュスティーヌの美徳を破壊
することはできなかった。悪は正当化されることはなく、美徳はそこからこ
ぼれ出た。悪党どもがいかにジュスティーヌを貶めようとも、彼女の美徳は
泥まみれになるどころか、逆にその分だけ燦然と輝きを加えたのであった。
ここで極悪人の姿には、加能純子を妊娠させ自殺へと追い込んだ東京の画家
の姿が重なり合う。サドの美徳を破壊したいという希求が実現されなかった
ように、その画家も加能純子を抹殺できなかったのである。

 (なお、荒巻のルーレットの赤と青に関する考察は、ツェノンのアキレス
と亀のパラドックスにヒントを得たものであり、SF的に興味深いものであ
る。)


●不死なる青春―白き阿寒湖

 ついに白樹は加能純子との忌まわしい過去を思いだした。白樹と加能純子
とは、異母兄妹(姉)という関係にあるかもしれなかった。「かもしれなか
った」というのは、加能純子の母親が、かつて白樹の父親と関係があったか
らである。

 白樹は、加能純子から絵描きの恋人がいて、すでに妊娠していることを知
らされた。彼はこっそり手に入れた睡眠剤を彼女にくれてやった。彼は素知
らぬふりをして、彼女を睡眠剤自殺へと誘惑したのである。このとき彼は、
嫉妬と怒りもあっただろうが、本気で彼女と心中する気だったに違いない。
それは、白樹の彼女に対する愛が、その画家よりもはるかに強いことの証で
あった。しかし、睡眠剤の効き目には個人差があるので、どちらかが死にき
れない場合があるかもしれない。彼女は、もし死ねなかったら子どもを生む
決心をして、ルーレットのようなかけをした。

 こうして二人は一緒に雪の降り積もった阿寒湖へと向かった。二人は旅館
でただ一つの布団に一緒に寝て一夜を過ごした。このとき、二人がどのよう
な夜を過ごしたのか、はっきり書かれていない。翌日、二人は、一緒に雪の
降り積もった阿寒湖への道を歩いていった。しかし白樹は立ち止まった。た
だ、白い道を暗い林の中へと歩き去って行く加能純子の後姿を見送るばかり
であった。

 彼はなぜ彼女と一緒に死ぬことができなかったのか? 実は、このことが
この作品のポイントなのである。しかし、この理由は読者自身の解釈に任せ
られる。私の解釈では、白樹の現実のテクストとサドのテクストが交錯する
頂点はこの一点につきる。白樹は加能純子と一夜を伴にしながら、彼女の体
に触れることができなかった。なぜならば、もし白樹と加能純子が肉体的に
結ばれたとすれば、彼は喜んで彼女と一緒に白い雪の中に身を埋めたであろ
うからである。ところが白樹は、加能純子は異母兄妹かもしれなかったの
で、近親相姦を恐れて彼女の体に触れることができなかった。

 なお、ここで白樹の父親の陰がかかっていることに注目しなければならな
い。結局、白樹は、サドのいう「極悪人」になりきることができなかったの
である。サドの世界に入る資格は「極悪人」でなければならない。近親相姦
を恐れた白樹が、ソフィーの住むサドの世界へと入り込むことができなかっ
たのは当然のことであった。

 孤独の中で雷に打たれて死んだジュスティーヌの美徳が不死となったよう
に、加能純子もまた、ただ一人阿寒湖の畔で白い雪の中に埋まって不死とな
った。

 しかし、白樹は呆然と青春の夢に浸ったまま、現実の世界にとり残された
ままであった。白樹に認められるように、青春の恋においては、恋人への愛
は、母親とか姉妹に対する一体感と混同される。すなわち、愛する者と一体
であるという幻想に彩られているのである。白樹は、加能純子をプラトニッ
クに愛するあまりに、その輝きに幻惑されて結局、金縛りになってしまっ
た。

 「もしあのときプラトニックな恋に酔っていないで、勇気を持って彼女と
運命をともにしたら……」と、誰もが青春の恋を悔しく思い出すものであ
る。

 しかし、青春の恋は、近親相姦と死と絡み合って、禁止として立ち現れ
る。愛する者と一緒に死んで不死(永遠)となれなかったことこそが青春の
恋の悔恨である。もし加能純子と一緒に「白き日旅他立てば」、白樹も「不
死」となれたであろうに……その不死性こそ遥かなる青春である。

 こうして白樹は、加能純子もソフィーも救えなかった。ところが、話は
それでは終わらなかった。実際そのとき、サディスムの犠牲者を見送る、偽
サディスト、腰抜けの白樹の姿を鋭く監視している者があった。ソフィーを
つけまわしていた密偵マレーであった。

 密偵マレーは、超自我のように強迫観念として白樹につきまとっていたの
だった。こうして白樹はマレーに逮捕され有罪を宣告された。その理由はは
っきり書かれていないが、もちろん、白樹が加能純子とソフィーに犯した裏
切りの罰である。白樹は、姿なき黒衣の者たちから激しく鞭打たれ赤い鮮血
に染まった。この言語に絶する苦痛の中から、加能純子/ソフィーに対する
青春の愛が垂直に立ち上がった。青春の恋の悔恨は、激しく罰されなければ
ならない。


●おわりに―白樹は精神病院から退院できるか?

 白樹は加能純子の死んだ阿寒湖の畔へもどってきたが完全に狂っていた。
そこで彼は精神病院に収容された。

 それでは精神医学的に見ると白樹の病気は何であろうか? 症状として
は、マルキ・ド・サドの小説の世界と現実を混同する妄想と幻覚、加能純子
を自殺に導きソフィーを見殺しにしたという罪業妄想、加能純子とソフィー
を同じ人物であるとみなしたという人物誤認あるいは妄想着想、ヨーロッパ
を彷徨するまとまりのない行動や記憶の錯誤や記憶障害、社会的職業的な機
能の低下―ギャンブル依存症、それから激しい興奮や緊張やせん妄状態など
があげられる。しかもこれらの状態は三年ほどにわたって持続している。こ
れを見ると、アメリカ精神医学のDSM-Ⅳ分類では統合失調症妄想型である。
しかし、フランス精神医学におけるアンリ・エーの概念では慢性妄想精神病
の中の空想精神病である(6)。

 いずれにしろ、「白き日旅立てば不死」は、白樹が入院しているところで
終わっているので、その後、彼が退院できたかどうか知るよしもない。

 もっとも、この続編『聖シュテファン寺院の鐘の音は』で、白樹が首尾よ
く退院したことが述べられているが(7)。

 それでは、白樹が退院できるところまで回復したのはなぜだろうか。この
場合、彼が故郷の北海道に帰郷したことがポイントになる。この作品では、
白樹も加能純子も白樹の母もヘルダーリンの詩集を愛読していた。特に、そ
の中でも、「帰郷」は、彼らのお気に入りであった。実は、それが彼らの救
いになっていた。この詩の中で、白樹を救ったと私が解釈する部分を引用し
よう。

……
 穏やかに銀の山はその上にきらめき
 輝く雪はバラの光に満ちている。
 さらに高い光の上には純粋な浄福の
 神が座を占め、神聖な光芒の戯れを楽しむ。
 ……
 神の力よ 高めよ! 若返らせよ! 人間の善の一切
 一日の刻限の一切が、朗らかな天使を伴うように
 愛し合う者が再会するときの喜びが
 場にふさわしく清められているように
 ……
 (8「ヘルダーリン詩集」110-118頁)


 故郷が白樹を救ったのである。ここで、荒巻義雄の愛読するハイデッガー
から引用しよう。

 人間たちはむしろ、日ごとに時々刻々に、見たこともない誘惑的で刺
激的な、時にはまた楽しくてためになるような圏域のうちへと、引きずり込
まれるのであ ります...我々はいかにして自分を防御することができる
でしょうか。我々が住み慣れたもののもつ、恵みを与えたり癒したり保護し
たりすることのできるもろもろの力を、絶えず呼び覚ますということ、そし
て住み慣れたものの力の源泉を常に繰り返し流出せしめ、その流れと流入と
に正しい道をあてがうということであります(9  「故郷の夕に寄せる挨
拶」306-317頁)


 白樹は、自分の住む世界の全体性を見失った。しかし、住み慣れた故郷北
海道に戻り、過去の苦悩をたどりなおすことによって、本来の自由な力を呼
び覚ますことができた。

 この難解な小説の錯乱を通り抜けると、そこにはサドの世界の暗黒を背景
にして、まぶしく燃え上がる青春の幻影が浮かび上がってくる。

 加能純子は、いかに虐待されていようとも、いやそうであればあるほど、
ジュスティーヌのように輝きを加え、「白き日旅立てば不死」となる。

 私たちは、涙を流しながらもかすかに笑みをたたえて、白雪の阿寒湖の畔
へと去って行く加能純子の雪を踏む音を聞く。彼女は永遠の恋人であり青春
そのものである。

 荒巻によれば、最初の計画では三部作になる予定であった。

 まだ書かれていない第三部の題名は、「もはや宇宙は迷宮の鏡のように」
である。

 このことを知らされてから、私は高山をさまよう夢を見た。早く読んで
迷い込んだ道から抜け出し、仲間と一緒にその体験を直接荒巻に述べたい
ものである。秘儀的な「白き日旅立てば不死」は、荒巻のライフワークの
第一部であり、彼のファンにとってはかけがえのない逸品である。
(藤元登四郎)


▼参照文献
1 荒巻義雄『白き日旅立てば不死』早川書房、1972。ハヤカワ文庫、
1976。角川文庫 1980。ファラオ企画、1992。この作品は1973年度泉鏡花賞
候補となった。
2 ジュリア・クリステヴァ著、谷口勇訳『テクストとしての小説』国文
社、1985。
3 荒巻義雄『シミュレーション小説の発見』中央公論社、1994。
4 ジョルジュ・バタイユ著、山本功訳「サド」。『文学と悪』、160-204
頁、ちくま学芸文庫、1998。
5 マルキ・ド・サド著、渋澤龍彦訳『悪徳の栄え』(続)。あとがき、343
頁、現代思潮社、1976。
6 アンリ・エー著、藤元登四郎訳『統合失調症』創造出版、2007。
7 荒巻義雄『聖シュテファン寺院の鐘の音は』徳間書店、1988。(荒巻
は、処女長編『白き日旅立てば不死』に執着を抱いており、文庫本の後、ハ
ードカバー版を出版した。そのあとがき「漂泊する魂の記録」で、彼はいつ
の日かその続編を書きたいと述べている。続編『聖シュテファン寺院の鐘の
音は』は『白き日旅立てば不死』の約20年後に出版された。)
8 『ヘルダーリン詩集』川村二郎訳、岩波文庫、2002。
9 マルティン・ハイデッガー著、西谷啓治訳「故郷の夕に寄せる挨拶」。
講座『禅』、306-317頁、筑摩書房、1967。













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