第51回日本SF大会 Varicon2012(ヴァリコン)

~第51回日本SF大会 Varicon2012~
       -The 51st Japan SF Convention-
開催日:2012年7月7日(土)~8日(日)
会 場:合宿の宿 ひまわり (北海道夕張市)
※本大会は「完全合宿制」です。


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 12 北海道SF大全 第五回『吉田一穂詩集』


 吉田一穂の第一詩集『海の聖母』の冒頭には、北原白秋が賞賛した有名な
次の作品が収められた。

 あゝ麗はしい距離(デスタンス)、
 つねに遠のいてゆく風景……

 悲しみの彼方、母への、
 捜り打つ夜半の最弱音(ピアニツシモ)。(「母」)


 「母」から遠ざかり、「麗はしい距離」そのものを生存の根拠として生き
ることに、吉田一穂の人生の営みのすべては賭けられていた。吉田の作品を
読むことは、「遠さ」の体験を確認することにほかならない。では、存在を
温かく包みこむ親しい大地としての「母」から離れていこうとする運動に身
を委ねる吉田は、どこへ向かおうとするのか。彼の向う先は「北」だ。

 人は垂直の点を指し、鳥は水平に北へ向ふ。垂直性脳脊髄が人間を自
然の不可逆像とした。いと高きところ、聖なるもの、永遠や無限の離れ難き
に、手をあげて誓ふTotemの萌芽、これを神獣性と解したら誤りだらうか。
鳥の声に人は空を仰ぐ。水平も垂直も、その延長に於て極星とつらなる一直
線である。(「極の誘ひ」)


 「極北」という無の地点において、吉田は生の営みを造り上げなければな
らなかった。自然や伝統のような連続性を当てにして、過去から持続する文
化的パターンに自堕落に身を委ねることができる人間的な幸福は、吉田には
縁のないものである。微温的な人間性ではなく、燃え上がるような、あるい
は凍てつくような厳しい環境に耐えうる「神獣性」の掟に忠実であることが
吉田の唯一の法である。

 吉田の法の世界にあっては、弛緩よりは緊張が、連続よりは切断が、自然
よりは超越性が選ばれるのであって、その逆の選択は絶対にありえない。
「龍」という神聖なものに憑かれた精神は、悲しいまでに、極限を目指す。

 「否、わたしはただひとすぢの糸で、天と連なり、水を潜つて、未知
の深淵から龍を描かんとするのである。天人地を貫く落雷の劇しさ、徐々た
る死灰泥化の目に見えぬ速度、自然は暴力である。荒い始元に対して人は眩
暈し、からうじて内なる生理反射、己れの心音を和して之れに抗ひ、身を支
へる。逆にまた人間の自然没入は死を意味する」(「龍を描く」)


 「自然没入」への拒否という態度は、吉田の基本的な詩の身振りである
が、これはすぐれて近代的な身振りである。マラルメやボードレールに親し
んだ吉田は、自身自覚していたように、日本近代詩の確立者の系譜に自分を
位置付けていた。吉田は伝統的な短歌定型詩と決別を告げて出発した表現者
だった。15歳のころから短歌を7,8年詠んだとエッセイ(「『海の聖
母』に就て」)で語っているが、20代に入ると彼は口語自由詩の世界へと
向かう。歌との別れが母との別れでもあったのだ。処女詩集の冒頭で彼はそ
れを確認したのだった。吉田と同じように、定型詩(短歌)から口語自由詩
に向かった寺山修司について、瀬尾育生は面白いことを述べている。「地獄
篇」のような物語詩のような作品を除くと、寺山において詩はすべて1行で
完結してしまう。それはなぜか。そこに瀬尾は寺山の生々しいオブセッショ
ンである「母」とのねじれた関係を想定する。

 「詩は定型も物語も旋律もなしに十数行、数十行を持続しなければな
らないのだが、それを可能にするのは詩人のなかの体内のリズム、原初的に
無条件で与えられている存在の確かさのようなものだ。寺山修司の詩が流れ
ようとして流れず、いつも一行ないし二行で切断されてしまうのは、いつか
幼いころからどうしても確信できなかった母の愛が、無償の流れを彼の体の
あちこちで塞ぎ止めてしまうからだ」(「猫背の寺山修司」)


 瀬尾が見出す寺山の個人的な体験は、近代の体験と言ってもよかろう。
「原初的に無条件で与えられている存在の確かさのようなもの」とは、ふる
さとや大地のようなものだ。あるいはそれを「伝統」と呼ばれるものと見な
すこともできよう。「伝統」を喪失し、すべてを独力で作り上げねばならな
いのが、近代人の宿命である。マルト・ロベールは小説の主人公の原型とし
て「捨て子」と「私生児」を見いだしたが、近代人は、血統を保証されず
に、「自分で自分を産み出さなければならない」のだ。

 このことは定型と手を切った「自由詩」において、ひときわ顕著なものと
して生きられる。芸術のアウラが喪失した複製技術の時代の中で、散文詩へ
と向かわざるを得なかったボードレール。純粋詩という不可能な試みを企て
たマラルメ。そうした極端さに不健全なものを嗅ぎ取り、江藤淳は散文精神
に裏打ちされたイギリス文学を選んだ。また、詩人の鮎川信夫は、サンボリ
ズムやドイツ観念論を育てたヨーロッパ大陸合理主義の対岸にあるイギリス
経験論に寄り添うことで、イデアとしての詩を拒否しようとした。

 ところで、寺山修司の話に絡めつつ、内部世界としての「詩」について考
えてみる。松浦寿輝は、瀬尾とは違う角度から、寺山の詩歌におけるみずみ
ずしい単数性の様態について述べている(「一であることの抒情」)。松浦
は、寺山の歌集のいたるところに「一」がちりばめられていることを指摘す
る。例えば、

 一本の樫の木やさしそのなかに血は立ったまま眠れるものを

 一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

 わが埋めし種子一粒も眠りいん内部にけむる夕焼け

 そしてまた、「一」という言葉は登場しない作品であるが、

 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり


 という印象深い歌に注目して、松浦は、「われ」の「両手が、少女に触れ
るために前に伸ばされるのではなく、あくまで世界との接触を回避しつつ、
しかしそれを大きく抱擁する身振りで、つまり海の幻像としての世界と平行
するかたちに横に広げられるとき、開いた腕がそこにかたちづくる感動的な
一の文字」というイメージに深く打たれるのだが、これらの潔いまでの
「一」の美しさは、吉田一穂の詩の世界に通じるものがある。一であること
と一でないことの比較の身振りによって、通俗的な情緒のドラマと戯れるの
ではなく、即自的に一であることの絶対的な肯定の身振りによって充実した
内部の世界をかたちづくること。そこでは内部と外部が正当性を主張しよう
として、対話を始めるわけではない。松浦は「ただ一なる一としての自己を
衒わず率直に肯定すること」の鮮やかさに着目しつつ、次のように語る。

 「詩人は、一と多とをただちに戯れさせることでたとえば寂寥といっ
たような偽りの詩情を捏造し、自己と世界とを感傷的に狎れ合せるといった
安易な途は選ばない。一を一として静かな確信をもって肯定し、他なる多と
の、成熟という名のまやかしの妥協を拒みつつ、潔癖な怯えのうちに斜めか
ら世界と遭遇しようとしているのだ」


 吉田の世界もまた、野生としての一とでも呼ぶべきような力強いイメージ
が、その作品を向日的なものとして彩っている。「力強いイメージ」という
のは、少し間違いで、正確には、イメージに先行する「韻律」といったほう
がよい。例えば、「韻律」そのものを謳った吉増剛造の次のような作品を思
い浮かべるといい。

 ぼくの意志
 それは盲ることだ
 太陽とリンゴになることだ
 似ることじゃない
 乳房に、太陽に、リンゴに、紙に、ペンに、インクに、夢に!なることだ
 凄い韻律になればいいのさ     (「燃える」)


 声の調子は、吉増とは、いささか異なるが、吉田もまた、「凄い韻律」に
詩の本質を見いだす。それが表現を要求するとき、吉田が偏愛する「龍」が
そうであるように、吉田の詩は、気高い「一」としての動物の形象を作品世
界に呼び入れる。

 現身(うつそみ)を破って、鷲は内より放たれり。
 自らを啄み啖ふ、刹那の血の充実感(みちたらひ)。 (「鷲」)

 円転する虚空、溢れる海水(みず)の、爽やかにして荒い阿巽(オゾン)
(「海鳥」)


 読まれるように、吉田の詩は、形式を突き破るような、あるいは新たなる
形式を要求するような韻律を表現の動因として、言葉を組織してゆく。吉田
自身は、「白秋論」の中で、それを「古代韻」と呼んでいるが、その韻律を
すぐれて知的な形式として表してみせたのが代表作「白鳥」である。全編引
用したいところだが、長いので(15連ある)、冒頭と最終連のみ引いてお
く。

 掌(て)に消える北斗の印(いん)。
 ……然(け)れども開かねばならない、この内部の花は。
 背後(うしろ)で漏沙(すなどけい)が零れる。

 (略)

 地に砂鉄あり、不断の泉湧く。
 また白鳥は発(た)つ!
 雲は騰(あが)り、塩こごり、成る、さわけ山河(やまかは)。


 鮮やかなイメージを残す北の空に浮かぶ星の残像。静かに開き始める花の
映像。生命力に溢れる清冽な泉の水。虚空に飛び立つ白鳥。世界の声そのも
のとなって、韻律を響かせる山と河の新鮮な佇まい……吉田の尊ぶ古代韻の
完成されたフォルムを体現するのが「白鳥」という作品だ。じつは、この作
品は、1940~1945年という戦争期に書かれているが、この困難な時
代を吉田は、内部の韻律に耳を研ぎ澄ませ、それを結晶化させることで、外
で吹き荒れるファシズムの嵐に抗い、それをやり過ごしたのだった。

 ファシズムは「熱狂」や「慰撫」といった液体的環境の中に個を溶け込ま
せ、盲目的な群衆を組織してゆく甘美な誘惑のことだが、この魔的な誘惑を
拒むためには、個体は群衆が鳴り響かせるリズムとは別の体系の韻律を刻む
ことでこれに対抗するしかない。戦争体験から『空気の研究』を書いた山本
七兵は、「空気」に唯一抵抗できる「水を差す」ことの効用を説いたが、共
通感覚から逸脱した異質の感覚というのはそれなりに存在意義があるのだ。
「奴隷の韻律」と呼ばれた短歌のリズムから身を引き離そうとする試みもそ
のような動機に発してもいよう。

 口語自由詩の韻律について日本で初めて自覚的に考察したのが吉田一穂で
あった。瀬尾育生は吉田の詩論を受ける形で「詩とは、国語の波動が別
の国語の波動と遭遇するところに生じる、物質言語と国語とのあいだの振動
のことだ」(「ポラリザシオン」)
という命題を提示し、定型について
も次のように論じる。「ある国語が自分自身を超えた高次な言語になろ
うとするとき、ある特定の外国語を通路とすること。いずれにせよ詩の定型
は、その外国語とある外国語との間の関係あるいは振動に由来するのであっ
て、単一の国語の生理や構造に帰せられるものではない。(略)吉田一穂が
素描してみせた和歌の二音単位四拍子もまた、日本語の固有性のなかに根づ
くものではなく、むしろ日本語が中国大陸とのあいだに形づくった振動に由
来している」


 吉田の唱える「ポラリザシオン理論」とは、極性を生み出すことであり、
成極作用のことであるが、そのためには、異国としての「北」が、「極北」
が要請されるのだ。極北の力強い振動が微弱化するとき、自由詩は民衆詩へ
むかって衰退していかざるを得ない。吉田が極北の韻律を受け取ったのは、
生まれ故郷である北海道の風景からであった。北海道の裕福な網元の長男と
して生まれた吉田は、自らを「海の民」として位置づけ、北の海の「青」に
染め上げられることを、ほとんど存在論的倫理として受け取っている。

 「しかしこの海の青の感覚は私の薄明思想となり、ノスタルヂアの性
格的な北方の誘引となつた。」「私は近代詩の形成原理を、三基構造の力学
的な<比率>の面から時・空・意・の三元に自己の坐標原点をとり、方向性
を与へることによつて<ポラリザッション・セオリイ>を成す一体系の組織
に、三十年の実験と思索を要した迂愚の一人である。幼少時代の海の彼方は
詩のイペルポオルとなつてわが思想の方向を決定し、その実現の方法論とし
てポラリザッションを成したにすぎない。何是か、ヴァイキングの裔なるア
ムンゼンを証人に呼ばう、卿は何故に再びエッダの氷極に帰り去つたかと」
(「海の思想」)


 このような「故郷」のイメージは少し奇異な印象を与えるかもしれない。
存在を温かく包み込む甘美な環境という、通常の「ふるさと」のイメージと
は異なるからだ。だが、吉田にあっては、「母」という作品で「麗はしい距
離(デスタンス)」と歌われたように、「ふるさと」から突き放される体験
そのものが「ふるさと」としてあるのだ。このような特異な「ふるさと」の
イメージは、坂口安吾の「文学のふるさと」というエッセイを連想させずに
はおかない。安吾によれば、モラルから突き放され、「救いがない」という
「絶対の孤独」こそが「文学のふるさと」なのだ。もともと安吾が惹かれる
風景は、他の人々とはかなり異なっていた。あるとき友人の北原武夫に「ど
こか風景のよい温泉はないか」と問われ、お気に入りの温泉を紹介したとこ
ろ、あまりの殺風景さに北原は本気で怒ったという。安吾が感じる「美」
は、安吾以外の人間には「不快」なものなのだ。このような挿話から、柄谷
行人は、母親に疎まれて育った安吾の生の姿を思い描く。そしてそれは、フ
ロイトが見出した「快感原則の彼岸」とつながる。

 フロイトの孫は幼くして母親を亡くしたのだが、その孫は母の不在を、糸
巻を使った「いないいないばあ」という遊びで、克服しようとしたのだ。
「不快」を「快」に変える、このような試みから、フロイトは「快感原則」
とは別の原理で働く衝動を見いだし、美とは異なる崇高(サブライム)の体
験を想定した。柄谷は言う。「おそらく安吾にとって、海と空と砂を見
てすごすことは、母の不在を克服する「遊び」であったといってよい。そう
した風景は彼に快を与える。しかし、それは母の不在という不快さを再喚起
することにおいてなされているのである(略)安吾が好む風景は、美ではな
くサブライム、つまり、不快を通して得られる快なのである」(「坂口安吾
とフロイト」)
そのような志向=嗜好は、吉田一穂にも見出されるもの
だ。たとえば、吉田は次のように証言している。「偏極的なこの強い乳
児期の印象は、わが一生に焼ついて<青>に対する感覚の志向性と諧和性を
表象し、赤や黄の明色と反した昏く冷たい感性と志向へ、自ずと導かれてい
く基調を成した」(「海の思想」)


 明色系の「赤」と対立する「青」に官能的に溺れこむ吉田は、本質的な詩
人であり、詩人としてしか生きられない人間だった。青に反応することは詩
人の条件だとさえ言える。リルケの『新詩集』は、当初、「青いあじさい」
となる予定だったという。また、小林康夫は、『青の美術史』の中で、次の
ように述べている。

 「いや、ヘルダーリンといい、マラルメといい、詩人は本質的に青に
対する感度が高いのかもしれないとすら思います。もしそうだとしたら、そ
れは、青が、詩がそうであるように、感覚的なものと知的なものとの合一の
精神を暗示する色であるからかもしれません」


 「感覚的なものと知的なものとの合一の精神」という言葉は、吉田に似つ
かわしい言葉だ。よく指摘される日本詩史における「極北の詩人」という吉
田に対する呼称も、そのことと関わっていよう。そしてまた、それは日本の
60~70年代の文化状況を表す言葉でもあった。「彼らはみな、何ら
かのかたちであれ、「北」を目指していた」(『シミュレーショニズム』)
と椹木野衣は言う。「「北」とは何か。端的に言えばそれは「デッド・
エンド」である」と規定する椹木は、「彼は世界の「底」が露出する瞬間を
ひたすら待つ」と冷静に指摘しつつ、そのような態度をしりぞける。
「「北」へいくやつはといえば、いつものたれ死に」するではないか、と。
グレン・グールドにせよ。極北のギタリスト、デレク・ベイリーにせよ、
「デッド・エンド」の探求の中で、みんなのたれ死んだ。80年代の音楽シ
ーンにおいて、60年代の精神を生きようとしたロックバンド、ザ・スミス
も、のたれ死んだ1人だ。「それはモリッシーとジョニー・マーの薄氷
を踏むかのごときテンションの持続によってのみ可能となるような性質のも
のだった。そのような緊張がそう長く持続するはずもなく、事実それは数枚
のアルバムを残して跡形もなく消え去ってしまう。彼らこそは根源的に
「北」を志向していたロック・ミュージックのさいはての表現――すなわち
ロック・ミュージックの極北を示唆するものだったといえるかもしれない」


 そうした光景を目撃してきた椹木は言う。「われわれは「北」という意識
の監獄から「南」という外界へと、一刻も速く逃げ出せるのでなければなら
ない」だがしかし、椹木は、やれやれといった調子で次のように続ける。
「しかし実際にはそうならない。まだまだ世間には「詩」を書くやつが多い
からね……」なかなか辛辣な言葉であるが、この言葉は真摯に受け取る必要
があるだろう。少なくとも私はそう思う。「詩」だけでは駄目だと。

 先に私は吉田の「白鳥」を引きつつ、堅固な結晶世界を構築することで、
吉田は戦争をやり過ごした、と書いた。それはそれでよい。「現実の対極に
詩の純粋空間を築こうとする」(三好豊一郎「桃花の里」)試みは、なにが
しかの批評を含んでもいよう。だがそこでは現実を認識しようとする視線
は、全くの不在である。現実の空間に戦争があるなら、それがいかなる経緯
と性質を有するかを、批評は見定めなければならない。現実の総体を掴むた
めには、詩人の感度が必要とされるが、それを分析=記述するためには、散
文家としての力が必要なのだ。このことは「詩」ばかりでなく、「SF」にも
また、言えることだ。ポエムなSFだけでは弱すぎるのだ。「センス・オブ・
ワンダー」という言葉を、水戸黄門の印籠よろしく、口にすればすべてが許
される時代は、とうの昔に終わった。現実を転倒し改革するためには、現実
を分析し、制度の限界と弱点を見定める散文の力が必要とされる。(石和義
之)



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