第51回日本SF大会 Varicon2012(ヴァリコン)

~第51回日本SF大会 Varicon2012~
       -The 51st Japan SF Convention-
開催日:2012年7月7日(土)~8日(日)
会 場:合宿の宿 ひまわり (北海道夕張市)
※本大会は「完全合宿制」です。


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 29 北海道SF大全 第十六回 久生十蘭「地底獣国」(教養文庫)


 国書刊行会から配本中の全集に河出書房の文庫セレクション。樺
山三英によるリメイク版「ハムレット」も話題を呼んだ。目下、何
度目かの久生十蘭ブームが到来しているのではなかろうか。これを
期に、SFファンの関心も一層高まってほしいものだ。ちなみに久
生十蘭の出身地は北海道函館市。なんというタイミングの良さ。こ
うなっては取り上げないわけにはいかない。

 久生十蘭は、現代ではまず「顎十郎捕物帳」「平賀源内捕物帳」
「魔都」「昆虫図」などの技巧派ミステリ作家として親しまれてい
るように思う。だがこれは膨大な著作の一部にすぎず、実際の十蘭
は冒険小説に軍記物、実録物、人情物、翻案小説に演劇・映画台本、
翻訳とありとあらゆるジャンルを飛び回った。国書版全集では、よ
うやくその全貌が系統立てて明らかにされつつあるところだ。

 そんな中にあって誰の目にも明らかなSF小説、と言えるものも
もちろん存在する。それが本作「地底獣国」というわけだ。カムチ
ャッカから樺太へ、海底に隠された天然の洞窟をたどって踏破しよ
うという壮大なスケールの物語。それだけでも十分に読み応えのあ
る冒険小説になるところだが、そこにひとひねりを加えるのが十蘭
流というところだろうか。

 舞台は1937年の旧ソ連カムチャッカ半島。主人公は日本人で
はなく、なんとロシア人たち。スターリニズムの嵐が吹き荒れる中、
科学者たちの探検隊に、日本領・南樺太へ抜ける地下洞窟の探索が
命じられる。科学調査は表向きの理由。ルートを固めてしまえば、
そこをたどって兵を送り込み、地下から秘密裏に日本に攻め入るこ
とができる…そんな狂気じみた策謀が秘められていた。語るもばか
ばかしい作戦だが、ことスターリンの命令となれば笑って済ませる
ことなどできない。スターリニズムにせよナチズムにせよ、独裁は
容易に妄想と結びつくものらしい。同時代の1939年にここまで
スターリニズムの本質を見抜いていた十蘭の見識には驚かされる。
まあ、当時の日本の政情も、それと大差ないレベルまで転落してい
く途上にあったわけだが。それはまた別の話である。

 無謀な探検の動機としてスターリニズムを据えた巧妙さは特筆し
ておきたい。生きて帰るためには、絶対に日本への地下ルートを
発見せねばならない。焦りの中次第に追い詰められていく科学者
たち。隊員の一人であるモローゾフ教授は、近くの収容所に抑留
されている日本人の漁民たちを身代わりに洞窟に入れることを思
いつく。もしうまくルートを発見して無事帰還したら、口封じの
ために皆殺しにすればいい。だがもともとの「地球の抜け穴説」
の提唱者で学究肌のヤロスラフスキー博士は加担を拒否、ひそか
に漁民たちを連れて洞窟から日本側へ脱出することを試みる。
悪事の露見を恐れたモローゾフ教授は、自動小銃を手に後を追う。
かくして、幻想的地下世界を舞台にした狂気のような追跡劇が始
まった…

 おそらくはコナン・ドイルの「地底旅行」から影響を受けたのだろ
うが、本作品における地下世界は決して薄暗い静寂の支配する場所で
はない。画数が多く仰々しい漢語とルビの羅列による講談調で描き出
されるのは、古代の密林さながらの喧騒と混沌の楽園だ。暴走する漢
語が独特の酩酊感をもたらし、「失われた世界」というよりは「沈ん
だ世界」(J・G・バラード)に近い幻想郷を作り出す。

「櫂の音に驚いて、長頸竜(エラスモザサウルス)が駝鳥のような頸
をひょっくり水の上に現したり、沼の浅いところで肺魚(アカントデ
ス)が泳いでいたりする。(中略)時には沼の上に半日も舟を停めて、
長頸竜(エラスモザサウルス)や翼手竜(プテロダクチール)の生態
を二十通りにも写生をする」

 さて、そんな異様な逃避行の末に、一行はようやく地上にたどり着
くわけだが、さてその場所はというと…

 ここで問題がひとつ。彼らの目的地であった「樺太」というのは北
海道なのだろうか。
 実は意外に難しい。現在は失われた領土ということもあるが、何よ
りもそれ以前に戦前の日本は中央集権国家であり、現在のような自治
体の概念はないに等しい。そもそも当時の北海道庁は国の機関であり
現在の自治体官庁である「北海道庁」とは似て非なるものだ。

 樺太もまた、「樺太庁」という国直属の官庁によって統治されてい
た。当然、そこに「県」という概念はない。

 いわゆる「日本」という国の歴代の為政者にとって樺太とは何だっ
たのか。アイヌを始め複数の少数民族が古代よりこの島に居住してい
たことがわかっている。彼らは時に中国の歴代王朝に朝貢したり日本
の有力者に朝貢したりしてきたが、基本的に「あまりにも遠い不毛の
地」とみられ高い関心は買わなかったようだ。では為政者たちが樺太
を意識し始めるのはいつか。高校の日本史で学ぶ樺太の変遷をおさら
いしてみよう。1809年、間宮林蔵は樺太が島であることを確認。
おそらくここが重要な基点であろう。間宮の探検は、日本の境界線を
把握するためのものであったはずだ。前年には松田伝十郎が樺太西端
に「大日本国国境」の標識を立てている。1854年、江戸幕府は日
露和親条約を締結。樺太に関しては国境を定めず、両国民の開拓に任
すこととした。1875年、明治新政府はロシアとの間に千島樺太交
換条約を締結。樺太全島を放棄する代わりに千島列島全島を譲り受け
た。1905年、ポーツマス条約により北緯50度以南の樺太が日本
へ割譲される。かくして、おそらくは有史以来初めて、日本に陸上の
国境線が出現する。

 もちろん、江戸期までの多くの日本人に「日本国民」としての自覚
があったとは考えにくい。「国境」とは「くにざかい」であり、自分
の住む藩や村を仕切るものでしかなかった。そのような獏とした国家
が成り立ち得たのも、四方を海で囲まれていたからかもしれない。

 もちろん清や朝鮮、ベトナムやインドの存在は知っていただろうが、
海で隔てられた遠い世界であり、国境線の一歩向こうに異民族が住む
大陸国家の緊張感は想像もできなかったことだろう。

 そのことから逆に考えると、北海道も樺太も、等しく日本文化が及
ばない「未踏の地」とみなされていたのではなかろうか。間宮林蔵は
樺太のことを「北蝦夷」と名づけたという。どちらにもアイヌという
異民族が住み別の文化を持っている。樺太にはアイヌ以外にもウィル
タ、ニヴヒなどさらに複数の少数民族が住む。

 つまりこの地域は日本にとって長い間、広大なグレーゾーンであっ
た。だが19世紀に入り急速に近代国家としての体裁を整える必要が
生じた。さきほど触れた慌しい樺太の変遷は、北海道とその周辺のエ
リアを強引に「大日本帝国」の版図に組み込む過程で起きたドタバタ
だ。そういう歴史背景を鑑みるならば、本作品を「北海道SF」と呼
ぶことに躊躇する必要はないだろう。

 その代償として突如地上に出現したのが、初の陸上国境であったと
いうわけだ。その重圧は海上国境の比ではない。いつでも境界線の向
こう側から、「敵」が攻めてくるかもしれぬ。この国境線が持つ緊張
感に照準を絞った十蘭の見識には驚くほかない。

 それは「国境線を破られたらどうしよう」という不安の産物だった
のだろうか。これ以降、日本は無意味な謀略と戦争に明け暮れ、結果
として樺太の比較にもならぬ膨大な陸上国境線を手にしてしまうこと
になる。そんなものが維持できるはずもない。それは、間違いなく破
滅への第一歩だった。

 ソビエトに対してはあれほど鋭い批判精神を見せた十蘭であるが、
祖国の同様の過ちには無力だった。1940年、師の岸田國士が大
政翼賛会文化部長に就くと文化部嘱託となり、戦意高揚作品を執筆、
43年には海軍報道班として南方へ旅立った。大変皮肉なことだが、
十蘭も祖国の破滅への道を同道していくことになる。
(高槻 真樹)


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